ミュート然り、ブロック然り。
これって本当に必要な機能なの? 大手ブログメディアでも紹介されているTwitterの『ミュート機能』。これってTwitter本来の魅力を損なうことになるんじゃないかな。「フォローしたのになぜフォロー返ししないの?」とか「こっそりフォロー外されてた。キー!」とか、そんなことを気にするんだったらそもそもTwitterなんてやるもんじゃないでしょう。
フォローしているユーザーのツイートを自分のタイムライン上で非表示にする「ミュート機能」
ひとまずどんなものかを知らないことにはミュートの良し悪しもわからないので試しに使ってみることにしました。
ミュートにしたい人を表示して、設定アイコンからミュートを選ぶ。たったこれだけ。
ミュートにしている間はこんな風にどれだけミュート対象者がツイートしてもミュートにした時点からは自分のタイムライン上には表示されないという機能(ミュートにする前までの投稿は表示される)。ただしリプライなんかは通知に表示されるということらしい。ミュートを解除するには、このミュートアイコンをクリックするだけでいいみたい。※試してみたあとは、ちゃんとミュートを解除しました。
なんだろう。見たくないならフォローを解除する。それだけでよかったはずなんだ。昔は。
今のTwitterにゆるゆる感をちっとも感じることができない
TwitterってSNSの1つという認識でも結構だと思うんですが、Twitter社自身は『社会的な要素を備えたコミュニケーションネットワークであると規定し、SNSではない。』としているんですね。(Wikipediaより)
Twitter登場当初はまさにそんな感じだったと個人的にも記憶しています。それまでに登場したSNSとはなんかちょっと違う、他人の目を気にしないで気ままにツイートしてたと思います。友だちの反応を気にしないでいい気軽さというのがそこにはあった。気になったユーザーがいればフォローし、そうでなければフォローを外す。「たったそれだけ」のことだったはずなのに、いつしかそういった気軽さが失われつつあるんだなと感じるようになりました。
リアルな友だちとのやりとりをTwitter上で行っちゃうからそう感じる?
クローズドな内容、とりわけ友だちや恋人とのやりとりってそもそもTwitterである必要がありますか?個人的にそういう報連相をやりたいのであれば相応のSNSでやればいいんじゃないかなと思っています。LINE然りFacebook然り。mixiも一応入れておきましょう。
もっとクローズドに友だちの報連相の輪を楽しみたいならPathとかCloseというSNSでもいいわけです。
極論を言ってしまえばTwitterでもSNSでもなく、個々人のメールがまだまだ1番リアルなつながりを行うに適したツールなんじゃないかな。Twitterってあれでしょ?自分が今なにしてるかを他ユーザーの反応を気にすることなく世に放つツールでしょ?そこにリアルな繋がりを持ってきちゃうからギスギスし始めてしまうんじゃないだろうか…、ないだろうかというより、きっとそう。
別にツイートは見たくはないけど、友だちだからフォローしとかないとっていう義務感ってTwitterにおいて必要なものなんでしょうか?妙な強制力があると、途端にそういうサービスってユーザーにとってつまらないものになってしまうと思うのです。
ゆるさがウケてたはずのTwitter、それが特徴だったにも関わらずリアルに近づきすぎてしまった。ミュート機能なんて本来必要ないであろう機能ができてしまったのは、そんな背景も少しあるんじゃないかなぁ。
まとめ:小さいことは気にするな。好きにやれ
結局何が言いたかったかっていうと、ミュート機能を使うなっていうことではなく、そんな機能を使ってまでフォローしておく必要がある相手なのかどうかってことです。別にフォロー外したっていいじゃない。外されたユーザーの気持ちとかそもそも考える必要ってそんなにないと思います。
[amazonjs asin=”4532319331″ locale=”JP” title=”ツイッター創業物語 金と権力、友情、そして裏切り”][amazonjs asin=”4844334530″ locale=”JP” title=”ソーシャルメディア絶対安全マニュアル トラブルにまきこまれないFacebook、Twitter、LINEの使い方”]
コメント